2019.12.25
【読書】それをお金で買いますか
マイケル・サンデル 著 鬼澤 忍 訳
「それをお金で買いますか 市場主義の限界」 原題=What Money Can’t Buy The Moral Limits of Markets
早川書房
原発など特に関係なくただの知的好奇心からの読書だったはずが、思わぬところに関連する記述を見つけてしまった。核廃棄物処理場について163ページで言及している。
その要旨はこうだ。
長年にわたり核エネルギーに依存しているスイスでは、核廃棄物処理場の候補地を探していた。1993年に、候補地のひとつであるヴォルフェンシーセンという人口2100人ほどの山村で、この問題をめぐる住民投票の前に、数名の経済学者が村民調査をして「連邦議会がこの村に核廃棄物処理場を建設すると決めたら賛成票を投じるか?」と質問をした。それは村に押し付けられるお荷物だという見方が広まっていたにも関わらず、受け入れるとの賛成票が51%で過半数を超えた。経済学者たちはさらに金銭的なインセンティブを付け加え、建設工事をした場合、毎年補償金を支払うという条件下での調査を行ったところ賛成票は25%まで低下した。
このスイスのヴォルフェンシーセンの事例で、金銭の受け取りを拒否した人々は、自分は賄賂では動かないと語った。建設を受け入れると表明した人たちは核エネルギーの恩恵を受けているために、もし処理場として地元が最適ならばそれは市民の義務として受け入れると考えた。
現在、日本では放射性廃棄物の最終処分施設の建設候補地となる有望な土地を示した科学的特性マップを公表して2年経つが、誘致した自治体は現れていない。(日本経済新聞2019年8月9日付記事 核のごみ処分、現れぬ候補地 国際会議、海外事例に学べるか より)
Not in my backyard と言って、誰もがそれを自分の家の近所に建てて欲しくないことは当たり前だ。一方で、もしも自分の地元が最適な土地だとしたら引っ越しをしてでも土地を提供したいという国民の義務感はこの国に育っているだろうか。
国という共同体、あるいは地球という共同体から受ける恩恵に対して恩返しをしたいと自発的に想うだろうか。
今日はクリスマスだ。イエス・キリストが亡くなってから2019年。どうしてクリスマスに人々は浮足立っているのだろう。今も宗教同士の対立が無くならないのはなぜなのだろう。それでも、この世界は少しずつでも良くなっているのだろうか。
俺は日本に生まれた日本人だ。日本の歴史や世界の歴史を知っていようがいまいが関係なく、当然歴史の中に組み込まれて存在している。そう見られる。日本に生まれて受けた恩恵は計り知れないと想う。感謝もしている。でも同様に日本人というだけで、誰かに恨まれている可能性もある。過去に過ちを犯したものの子孫かもしれない。
他人に迷惑をかけずに生きられたらいいのになと思う。でも聖人君子にはなれない。知らない間にきっと蟻を踏みつぶしている。だから、罪滅ぼしをしたい。better than yesterday. 昨日より良くなりたい。
道徳の基本は恩返しだと思う。クリスマスに甥っ子たちにプレゼントを渡したいと思うのは自分が昔、親からプレゼントをもらったからだ。
自分が昔してもらったこと。感謝していることを自分もしたい。
#廃炉への道