2026.02.11
伸び代【裏セルフ・ライナーノーツ】NYの「The Stone」と、橋の下の「石ころ」

NYの「The Stone」と、橋の下の「石ころ」
PR TIMESのプレスリリースでは、ある芸人との橋の下での友情について書いた。
だが、この曲『伸び代』にはもう一つ、アンダーグラウンド過ぎて誰にも話していない「17年越しの伏線回収」が隠されていた。
時計の針を2009年に戻そう。
9月11日、東京のポストジャズロックトリオ「AZMARI」はニューヨークにいた。彼らが立っていたのは、あのJohn Zornが主宰する前衛音楽の聖地「The Stone」のステージ。彼らにとって歴史的な一夜だったはずだ。叶うなら「AZMARI」のメンバーとして、その場所にいたかった。しかし、俺はその1年程前にバンドをクビになり、トランペットを持って日本を彷徨っていた。「AZMARI」がNYの「The Stone」公演に向けて爪を研いでいた、まさにその頃。俺は転がる石のように、ヒッチハイクで辿り着いた道頓堀の橋の下で、あの芸人とエコーに火を点けて眠りについた。
長い眠りから覚めると、札幌にいた。そこは「The Stone」と縁が無かったことを受け入れ、進路を北に変えて辿り着いたDIYの聖地だった。それから3.11が起きた。俺はニッカポッカを履いて、建設現場という「生活」に飲み込まれていった。雪国では、ただ生きるだけで精一杯だった。
あれから17年。前衛音楽のことはもう過去のことだと思っていたけど、たまたま押し入れの中にあった「AZMARI」の音源をひさしぶりに聴いた夜、古傷が疼いたのかもしれない。
『伸び代』のレコーディングに呼んだ鍵盤奏者、酒井拓。
かつてのヒッチハイカーが、みずから運転する車でスタジオに向かう道中。助手席に座った酒井拓に、ふと「The Stone」のことを話した。すると彼は、かつて札幌でJohn Zornの弟子と共に活動していたことを教えてくれた。
17年前に置いてきた前衛音楽の残響が聴こえた気がした。
『伸び代』の中盤、ギターソロの後ろで暴れる激しくも知性的な鍵盤。 そこで鳴り響く酒井拓の音は、俺が「The Stone」に行きさえすれば見つけられると思っていた音、そのものだった。2009年に分岐した世界が、2026年の札幌で繋がった。長い遠回りをした末に、ようやく俺は「自分の音」を鳴らせるようになった。
「乗せてくれる人の方が凄い」、あの頃の自分の言葉を思い出す。
俺に必要だったのはヒッチハイクじゃなくDIYだった。
この曲は、魂に火を点けてくれた友人へのアンサーであると同時に、「AZMARI」へのヒッチハイクに失敗して「The Stone」に行けなかった橋の下の「石ころ」が、DIYで作り上げた17年前の自分自身に向けたアンサーソングでもある。
(AZMARIリーダー・渋谷文平、酒井拓の許諾を得て記載)


